「今日の幸せは、恥ずかしい話ので少し短めに。」
最初にそう言い訳をさせてください。
今回は、ただの惚気(のろけ)です。
でも、恥ずかしさを超えてどうしても書き残しておきたいと思った幸せな瞬間がありました。
毎日忙しく過ごしていると、私たちはつい「何かをすること」に追われてしまいます。
でも、本当の幸福は「何もしない時間」にこそ隠れているのかもしれません。
今日は、そんな深夜の出来事についてお話しします。
深夜3時の感謝
実は、昨日は本当に久しぶりに、妻と息子と私の3人で娘のお迎えに行きました。
家族みんなで歩く時間はとても穏やかで、「今日はこの幸せな日常についてブログを書こう。」と決めて眠りについたのです。
しかし、夜中にそれを超える幸せな瞬間が待っていました。
時刻は午前3時。
息子の泣き声でふと目が覚めました。
少し体を起こして横を見ると、妻が反射的に息子を寝かしつけてくれています。
先日まで、義母と2ヶ月間の同居生活をしていた際、私は息子と寝る機会がありませんでした。
そのせいで、すっかり寝かしつけが下手くそになってしまった私。
「ありがとう。」「すまんねえ。」と心の中で妻に感謝しつつ、「泣き止まなかったら交代しよう。」と見守るだけでした。
「朝活」よりも大切なこと
次に目が覚めたのは午前4時。
またもや息子の泣き声です。
さすがに頭がぼーっとしていました。
ふと妻を見ると、息子を寝かしつけたあともスマホをいじっています。
眠れないのか、目が冴えてしまったのか……。
そういえば最近、妻はこう言っていました。
「お腹の赤ちゃんが動き回ったり、重たかったりで、あまり眠れないの。」
お腹が圧迫されて、食べたものが上がってくるような苦しさもあるそうです。
普段の私なら、4時に目が覚めたら「よし、朝活の時間だ!」と起き出して、ブログを書いたり本を読んだりするのがルーティンです。
4時から始められれば朝活が捗ります。
でも、今日はなぜか、妻の隣に行きたいと思いました。
私は起き上がるのをやめ、もぞもぞと静かに妻の隣へ移動して横になりました。
何もないけれど、すべてがある時間
同じ布団に入ると、妻がそっと私の手を握ってきました。
言葉はありません。
私も妻が眠いのを知っているので言葉は発さず、こちらから触れることもありません。
しばらくすると、お腹が苦しかったのか、それとも赤ちゃんを感じて欲しかったのか、妻は私の手を自分のお腹へと誘導しました。
いつも私が触るとぴたりと動かなくなる赤ちゃん。
今朝もその存在を感じさせてくれませんでしたが、妻のお腹が冷えていることはわかりました。
スマホも置いて、会話もしない。
私にできるのは、「自分の手の温もりが少しでも妻のお腹に移れ!」と念じるだけ。
ただ、手をつないで横になっているだけの時間。
生産性なんて欠片もない、静寂だけの数分間。
でも、その時間が私にとっては、言葉にできないほど幸せでした。
幸福は「獲得するもの」ではなく「気づくもの」
隣にいるだけで幸せな相手と、ただ隣にいることができる。
普段、慌ただしい生活の中で一緒にいると、この尊さを意識することは少なくなってしまいます。
私たちはつい、幸福を求めて遠くを見がちです。
仕事を頑張ったり、お金を貯めたり、何か特別な体験を探したり。
もちろんそれも幸福の一つの形です。
けれど、深夜の静けさが教えてくれたのは、「本当の幸せは、すぐ近くにある。」という事実でした。
特別なイベントがなくても、言葉を交わさなくても、ただ愛しい人の体温を感じるだけで満たされる心。
これこそが、【人間関係の幸福】の究極の形なのかもしれません。
今日の小さな一歩
この記事を読んでくださったあなたへ。
今日は一つだけ、効率を忘れるアクションを提案させてください。
大切な相手と、5分間だけ「何もしない時間」を共有する
テレビもスマホも消して、ただ隣に座ってお茶を飲むだけでも、寝る前に少し手を繋ぐだけでも構いません。
「生産性」を手放したとき、相手の体温や呼吸の温かさに、ふと気づくことができるはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
このブログでは、このように「無理なく幸福度を高めるヒント」を発信しています。
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あなたの日常にも、素敵な幸福のヒントが見つかりますように。
