ゆる★うぇるびーいんぐブログ

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​【人間関係の幸福】当たり前の日常?いいえ、最高の幸せに気づいていないだけです

あなたは、どんな瞬間に「幸せ」を感じますか?

 

特別な記念日や、何かを達成したときでしょうか。

もちろん、それも素晴らしい幸福の形です。

 

でも、本当の幸福は、もっと私たちの日常の、ありふれた風景の中に隠れているのかもしれません。

 

幸せを自覚させた唐突な会話

金曜の夜から、私たちは妻の実家にお邪魔していました。

義両親がお出かけで留守にする間、愛犬のお世話を頼まれたのです。

週末の小旅行気分で、いつも快く引き受けています。

 

本当は二泊三日の予定だったのですが、今朝早く、4歳の娘が謎の嘔吐。

幸いケロリとしていましたが、もしウイルス性のものだったらご迷惑をかけてしまいます。

大事をとって、一泊だけで自宅へ戻ることにしました。

 

帰りの車内。

遊び疲れた子どもたちは、後部座席のチャイルドシートでスヤスヤと寝息を立てています。

静まり返った空間に、エンジンとラジオの音だけが響きます。

 

そんな穏やかな時間の中で、ふと妻に問いかけてみたんです。

「ねぇ、『愛』と『恋』ってどう違うんだろ?」

 

今思えば、なんて唐突な話題でしょう。

もし私が逆の立場で、疲れている時にこんな話を振られたら、とても退屈だし、考えるのをやめてしまっていたかもしれません笑

でも、妻は真剣に考え、私の言葉に耳を傾けてくれました。

 

妻が耳を傾けてくれたことが嬉しくて、私は自分の考えを話してみました。

「『自分以外とでもいいから幸せになってほしい』と願うのが愛で、『他の誰かではなくて、この自分が幸せにしたい』と思うのが恋なんじゃないかな。」

 

そう言うと、妻は「なるほどね」と少し微笑んでくれました。

「いい感じじゃない?」と私が尋ねると、「うん、いい感じだね。」と返してくれます。

この他愛ない会話が私にとってはとても心地いいのです。

 

「でもそうなると、結婚は『恋』になるってことかな。」

妻からの一言に、私は「うーん…」と、うまく言葉を返せませんでした。

なんだか、それだけでは言い表せないような気がして。

私の思考は、また楽しい迷宮へと迷い込んでいくのでした。

 

「無口な私」を変えてくれる人

妻はいつもこうなんです。

私が考えすぎてしまったり、突拍子もない話を始めたりしても、面白がって付き合ってくれます。

妻と一緒にいると、不思議と私は饒舌になります。

昔の私を知る人は、きっと驚くでしょう。

 

もともと私は、いろいろなことを考えすぎてしまうタイプ。

頭の中にあることをうまく言葉にできず、話が唐突になったり、周りの人が興味のないようなことを延々と考えたりしてしまいます。

 

実家の家族と話していても、話が食い違ったり、うまく伝えられなかったり。

「また変なこと言ってる。」という顔をされるのが怖くて、いつしか私は話すのを諦めていました。

 

長年そんな調子だったので、実家ではすっかり無口な息子。

きっと、学生時代の友人たちの間でも、口数の少ない奴だと思われていたはずです。

 

そんな私が、今ではこんなにも自然体でいられる。

ありのままの私を受け入れ、私の言葉にじっと耳を傾けてくれる妻。

そんな相手と一緒にいられることが、何よりの幸せなのだと、この時、改めて感じました。

 

込み上げた日々の感謝

話は変わり、この記事を書いている今は深夜です。

子どもたちは、もう夢の中。

普段なら仕事の疲れで、私も子どもと一緒に眠ってしまうのですが、今日は昼寝ができたおかげか、少し目が冴えています。

逆に、昼寝をしていない妻は子供と一緒に夢の中。

久しぶりに、一人でシンクの皿を洗い、洗濯機を回しました。

 

以前のブログにも書きましたが、私はこの時間が好きです。

news-paper365.hatenadiary.com

 

誰にも邪魔されず、中断されることなく、自分の作業や好きなことに没頭できる貴重な一人時間だからです。

 

しかし、最近の私はどうだったでしょう。

「仕事が大変だから」を言い訳に、この夜の家事を妻に任せっきりにしてしまっていました。

 

私にとっては「好きなこと」ができる時間。

では、妻にとっては?

 

少なくとも、睡眠時間が削られて、翌日の体に響くことは明らかです。

日中、私は仕事をしていますが、妻は気分屋の1歳児とずっと一緒。

自分のペースで動くことなどできず、気の休まる時間はほんの僅かです。

 

それなのに、夜の作業まで任せてしまっていた。

申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになりました。

私が甘えている間も、妻は大変そうなそぶり一つ見せず、黙々と家を整えてくれていたのです。

その優しさと強さに、感謝しかありません。

 

そういえば、実家に帰るたびに、私の両親は妻に「〇〇(私)と結婚してくれて本当にありがとう」と言います。

そして、私の友人やその親御さんからは、「まさか、お前が結婚するとはねぇ。」と、今でも言われます。

 

今までは気にも留めず、笑って聞き流していましたが、こうして静かに考えてみると、周りの人たちの言葉は、あながち間違いではなかったのかもしれません。

 

「当たり前」に隠れた幸せに気づくために

大切な人、感謝すべき人は、案外すぐそばにいます。

でも、私たちはその「近さ」や「当たり前」に慣れてしまって、その存在のありがたさを見失いがちです。

 

【人間関係の幸福】とは、特別な何かを成し遂げることではなく、身近な人の優しさに気づき、感謝し、そして自分もまた相手を思いやること、その温かい心のやり取りの中にこそあるのだと思います。

 

幸せは、遠くまで探しにいくものではありません。

それは、あなたのすぐ隣で、あなたが気づいてくれるのを待っているのかもしれません。

 

この記事を読み終えたら、ぜひ、あなたの隣にいる大切な人を思い浮かべてみてください。

そして、もしよろしければ、小さな行動を起こしてみませんか?

 

・「いつもありがとう」と、目を見て伝えてみる。

・LINEで「今日もお疲れ様」と一言メッセージを送る。

・相手が好きなお菓子を、帰りにこっそり買っていく。

・今夜はあなたが、夕食の洗い物を担当してみる。

 

そんな些細なことで、当たり前だった日常が、かけがえのない宝物のように輝き出すはずです。

 

この記事を書きながら、私も、一番身近な大切な人へ改めて「いつもありがとう」と伝えたくなりました。

少し照れくさいですが、大切な気持ちを言葉にするのは、きっと恥ずかしいことではないはずです。

 

この記事が、あなたにとっての「当たり前の日常」を見つめ直す、小さなきっかけになれば嬉しいです。