「こうあるべき」という無意識の思い込みに、心が縛られて苦しくなることはありませんか?
特に、子育てや大切な人との関係の中では、世間一般の「普通」や自分の中の「常識」が、時として私たちを追い詰めてしまうことがあります。
真夜中の無限ループ
深夜0時。
我が家では、今日も戦いのゴングが鳴り響きました。
最近、1歳になる息子の、夜泣きが再発しています。
今日も0時過ぎから泣き始めて数時間。
その間、妻と私で交代しながら抱っこしたり、お茶を飲ませたり、オムツを替えたり……。
思いつく限りの手は尽くしましたが、一向に泣き止む気配はありませんでした。
抱っこしている腕の中では、眠そうに私の肩へこてんと顔を乗せてくるのです。
そのくたっとした重みと温もりが、たまらなく愛おしい。
「今度こそ眠ってくれるかな」と淡い期待を抱き、そっと布団に降ろします。
始めは眠そうにゴロゴロしているのですが、次第に寝返りの回数が増え、寝ぼけながら壁に向かってハイハイを始めてしまいます。
そして最後には、頭をカキカキ、目をゴシゴシ……。
再び火がついたように泣き始めて、すべてが振り出しに戻るのです。
寝かせるのを諦めた先に
この無限ループを何度繰り返したでしょうか。
心身ともに疲れがピークに達したとき、私の中で何かがぷつんと切れました。
「もう、寝かせるのをやめよう。」
いよいよ吹っ切れて、同じく眠気のピークを超えながらも息子を抱き続けていた妻からバトンタッチ。
ぐずる息子を抱きかかえて寝室を出て、リビングの電気をパッとつけました。
すると、どうでしょう。
さっきまで泣き叫んでいた息子の顔に、ぱあっと笑顔が咲いたのです。
そこからはもう、深夜のリビングは私と彼だけの特別な空間になりました。
おもちゃ箱をひっくり返して、お気に入りのブロックを満足げに並べたり、次から次へと絵本を持ってきては私の膝に乗り「読んで」とせがんだり。
眠気のせいで少しテンションが高かったのか、いつもよりたくさん、身振り手振りを交えて一生懸命「あー」「うー」「おー」とおしゃべりしてくれます。
普段は見られないこのときだけの特別な息子の様子に、私の眠くてまともに開かない目はさらに細くなり、ニコニコしてその姿を見ていられました。
正直、夜中に子どもを起こしてしまうという選択が正解だったのかは分かりません。
育児のセオリーからすれば、間違っているのかもしれません。
それでも、寝かしつけの努力が無に帰す無力感を、永遠と思えるほど繰り返し続けるより、精神的には何倍も楽でした。
そして何より、息子の楽しそうな笑顔を見られたことが、ささくれ立っていた心を優しく癒してくれたのです。
今夜の自分自身の頑張りを認めてあげたい気持ちになりました。
「ああ、もしかして君は、眠い体と眠りたくない気持ちがせめぎ合っていたんだね。」
そんなふうに感じ、息子のやりたいように遊ばせてあげることができました。
常識という偏見を捨てよう
「夜だから、寝なければいけない。」
この当たり前すぎる常識は、まだ1歳の息子には通用しなかったのでしょう。
彼には彼の都合や、体のリズムがあったのかもしれません。
物理学者のアインシュタインは、こんな言葉を残しています。
「常識とは、18歳までに培った偏見のコレクションである」
まさにその通りだと、息子の笑顔を見ながら痛感しました。
私たちは、知らず知らずのうちに「こうあるべきだ」という偏見、つまり自分だけの常識で物事を判断しています。
そして、相手がその枠からはみ出したときに、ストレスを感じてしまう。
時には、相手を自分の常識の枠にはめ込もうとするのではなく、自分の常識の方を疑ってみる。
そのメガネを一度外してみることが、関係を良好に保つ上でとても大切なのかもしれません。
このブログを書いている現在、時刻は朝の4時を過ぎたところです。
あれから満足するまで遊んだ息子は、すーすーと穏やかな寝息を立てて、ようやく夢の中へ旅立ってくれました。
しかも布団ではなく、リビングの固いフローリングで。
これも私の常識にはない出来事でした。
大変な一夜でしたが、この出来事は私に「人間関係の幸福」における一つの真理を教えてくれた気がします。
それは、自分の「べき」を手放した先にこそ、相手の本当の笑顔や、思いがけない幸福な時間が待っているということです。
結局、私の「こうなってほしい」という期待は、息子の気持ちとは別のものだったのですね。
そのことを忘れてしまうと、「良かれ」という気持ちは、いつの間にか相手をコントロールしたいという気持ちになってしまうのかもしれません。
そう感じた一夜でした。
もし今、あなたが誰かとの関係で
「どうして分かってくれないんだろう。」
「普通はこうするべきなのに。」
と悩んでいるとしたら、その「べき」という杖を、そっと手放してみませんか?
常識というフィルターを外して相手を見てみれば、そこにはあなたが今まで見過ごしていた、愛おしい笑顔が輝いているかもしれません。
さて、今日のブログは短いですが、私の眠気もそろそろ限界。
眠ろうと思います。
「もうすぐ朝だけど、体を休めるために眠るべき。」
さてこの「べき」は私にとって良い結果をもたらしてくれるでしょうか。
少し楽しみですね。