ゆる★うぇるびーいんぐブログ

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【人間関係の幸福】子育ては後悔の連続?私を肯定したのは娘の「寂しい」

子育ては後悔の連続だ、なんて思いませんか?

 

「あんなに厳しくしなくてもよかったのに……。」と眠る子どもの顔を見て反省する。

そんな日々の小さな罪悪感の積み重ねに潰されそうな心が、ふとした瞬間に軽くなることがあるなんて、少し前の私は想像もしていませんでした。

 

これは、深夜2時に起きてきた4歳の娘が、たった一言で私の世界を変えてくれた、そんな物語です。

 

深夜の訪問者と、予想外の一言

最近のブログの執筆は深夜からになることが多いです。

育休を終え、仕事も本格的に始まり、疲労が体に溜まっていくのを感じます。

 

妻が息子を、私が娘を寝かしつけ、ようやく自分だけの時間……と思いきや、睡魔がピークに。

少しだけ仮眠を取ってからブログを書き始めた、そんな日のことでした。

 

カタカタとキーボードを叩く音だけが響く静かなリビングに、小さな足音が近づいてきます。

「この足音は娘だな。」はっきりとわかりました。

正直なところ、少しだけ「あぁ、中断か…」と思ってしまいました。

 

 「どうしたの?目が覚めちゃったの?」 そう声をかけると、娘は眠たそうに目をこすりながら、こう言ったのです。

 

「パパがいなくて、寂しかったの。」

 

その一言に、私の時間は止まりました。

 

ほとんど開いていない目。

寝起きで舌ったらずになっている滑舌。

私の服の裾をぎゅっと握る小さな手。

 

同じ寝室にはママが寝ているはずなのに、わざわざ暗い廊下を歩いて、私を探しに来たのか……。

 

その事実に気づいた瞬間、胸の奥をわしづかみにされたような衝撃が走りました。

「こんなにも愛されていたのか。」と。

 

さっきまで感じていたブログ執筆を中断されたことへの小さな不満も、体中の疲労感も、全てが遠い世界の出来事のように消え去っていきました。

 

嬉しさが込み上げた私は、娘を優しく抱きしめて寝室へ。

娘の温もりを感じながら、再び眠りにつくのを見守りました。

 

「良い親」ではなかったであろう日々の記憶

娘が再び寝息を立て始めた後、リビングに戻った私は、書いていたブログを一度すべて消しました。

この温かい気持ちを今日の幸せとして残しておこうと思ったのです。

 

再び訪れた静寂。

娘のことを思いながらブログを書いていると何度も再生される娘の「寂しい」という一言。

その愛おしさは、私の過去の記憶を呼び覚ましました。

 

この4年間、私は良い父親だっただろうか。

思い出すのは、後悔の場面ばかりです。

 

特にひどく怒ってしまったのは、下の子が生まれ、妻が入院していた時でした。

里帰り出産だったため、私は娘を連れて妻の実家でお世話になっていたのです。

慣れない環境のストレスだったのか、言うことを聞かない娘に、私は日に日に厳しくなっていきました。

 

義実家の中で私が強く叱れないことをいいことに増長していく娘。

そんな娘の態度にイライラを募らせていた私は、外に出るたびに必要以上に強く当たってしまっていました。

今思い出しても、胸が苦しくなる記憶です。

 

「あんなに厳しくしなくても、他にやり方があったはずだ。」

 そんな後悔が、心のどこかにずっと溜まっていました。

 

「寂しい」と肯定された、かけがえのない時間

しかし、あんなにひどい父親だった私に、娘は「いなくて寂しい」と言ってくれる。

その事実に気づいた時、私の4年間が、娘からの言葉で丸ごと肯定されたような気がしたのです。

娘の優しさが嬉しくて、そして、そんな風に思ってくれる娘を育ててこられた自分を、少しだけ誇らしく思えました。

 

そう思うと、後悔だけでなく、幸せな記憶も次々と思い出されます。

 

生まれたときから本当に手のかからない子でした。

寝返りを打ち、ずり這いをし、つたい歩きを始めた日。

その一つひとつの成長が、私の喜びでした。

可愛くて、仕事に行きたくなくなるほどに。

 

歩けるようになってからは、毎朝玄関で泣いて私を引き留めるようになりました。

その姿に後ろ髪を引かれ、「この子との時間を、成長を見逃したくない」という気持ちが日に日に強くなっていきました。

私が時短勤務を選び、家族との時間を最優先するようになったのは、間違いなく娘のおかげです。

 

成長の喜びと、親の手を離れていく寂しさ

つい最近、娘は自転車に乗れるようになりました。

少し前まで、娘がどんなに走っても私は歩いて追いつけたのに、今では自転車を追いかけるために小走りです。

 

好き嫌いなく何でも食べた離乳食期を経て、一時期はフライドポテトしか食べない偏食家になったこともありました。

それが今では、保育園のおかげでまた色々なものを食べられるように。

 

トイレも、歯磨きも、着替えも、あんなに世話を焼いていたのに、今ではほとんど自分でできます。

料理や配膳も積極的に手伝ってくれるし、最近では「一人でおつかいに行きたい!」なんて言い出す始末です。

 

こうして振り返ると、娘は着実に「一人でできること」を増やし、私の手を離れていっているのだと実感します。

それは嬉しくもあり、少しだけ寂しくもある、複雑な気持ちです。

 

今まで以上にこの時間を大切にしたいと感じます。

 

あなたの「幸福」は、どこに隠れていますか?

「子育ては失敗の連続だ」と人は言います。

確かに、申し訳なかったこと、やり直したいことは山ほどあります。

でも、娘の「寂しい」というたった一言が、それらを忘れないようにしながらも今を大切にしようと思わせてくれました。 

 

私にとってこの4年間は、決して「失敗ばかりのマイナスな思い出」ではありません。

 

厳しく叱ってしまった後悔が消えるわけではないのです。

けれど、娘のたった一言が、そんなトゲのある過去さえも優しく包み込み、「全部ひっくるめて、私たちのプラスの時間だったんだよ。」と教えてくれました。

 

一人になったリビングで、過去への反省と、今ここにある確かな愛情の両方を噛み締め、胸が熱くなっています。

この温かい気持ちは、また明日から仕事を頑張るための活力になるでしょう。

そして、いつかFIRE(経済的自立と早期退職)を達成して、家族ともっとたくさんの時間を過ごすんだという、未来へのモチベーションにも繋がります。

 

あなたにとっての【人間関係の幸福】は、どんな時に感じますか?

それは、パートナーとの何気ない会話の中かもしれません。

友人と笑い合う時間かもしれません。

あるいは、私のように、子どもの不意の一言に隠されているのかもしれません。

 

ぜひ一度、意識して周りの人の言葉に耳を傾け、その瞬間の自分の気持ちを味わってみてください。

きっと、あなたの毎日を支える温かい「幸福」は、すぐそばで見つかるはずです。

 

そして思い出してください。

心を動かすその一言は、決して偶然ではありません。

あなたがその人と大切に積み重ねてきた、時間の結晶そのものなのですから。