「今日も頑張ったな」と、自分を心から褒めてあげられていますか?
仕事ではやるべきことに追われ、家に帰れば息つく間もなく育児と家事が始まる。
一日の終わりにベッドに入るとき、残っているのは「今日も疲れた……」という溜息と、「あれができなかった、やらなかった」という小さな後悔。
本当はもっと笑顔でいたいし、人に優しくありたいんだけどな。
そんな日も、きっと少なくないのではないでしょうか。
実は少し前までの私が、まさにそうでした。
でも、ある出来事をきっかけに、日常の些細なことから「幸せ」を見つけ出す、ちょっとしたコツを掴んだ気がするんです。
娘の涙から学んだ、自分への優しさ
夕飯を食べ終え、後片付けをしていた時のことです。
ご飯を食べ終えた妻はお風呂へ。
録画していたプリキュアに娘と息子の面倒は任せて、私はせっせと皿洗いをしていました。
プリキュアがCMに入った瞬間、娘が「トイレ!」と勢いよく走り出しました。
「CMの間に済ませようと急いでいるんだな」と、その姿を微笑ましく見送ったんです。
ところが、少しするとトイレから震えるような声が聞こえてきました。
「ズボン、濡れちゃった……。」
最近は一人で上手にトイレを済ませられるようになった娘ですが、まだ時々、こうして失敗してしまうことがあります。
私が急いでトイレに向かうと、そこには眉間にキュッとシワを寄せ、八の字眉毛で、反省と悲しみが混じった顔をした娘が立っていました。
その顔を見た瞬間、ハッとしました。
「ああ、いつも失敗すると私が怒るから、こんな顔をさせてしまうんだな……。」
普段の自分の接し方を省みると同時に、プリキュアが見たくて焦ってしまった娘の気持ちも痛いほどわかりました。
私は、娘の頭を撫でながら穏やかに声をかけました。
「そっか、失敗しちゃったね。プリキュアが見たくて、焦っちゃったんだよね。大丈夫だからお着替えしておいで。」
すると娘は、「うん!」と顔を輝かせ、パタパタと着替えに走っていきました。
この対応が正しかったのかは、分かりません。
でも、あの悲しい顔をさせずに済んだこと、そして娘の笑顔が見られたことに、私は胸を撫で下ろしました。
「今日の自分、悪くないかも」が教えてくれたこと
娘の表情が明るくなったとき、ふと思ったんです。
「ああ、今日は娘に優しくできたな。」と。
それは、私にとってささやかな成功体験でした。
でも同時に、こんな考えも頭をよぎります。
「じゃあ、いつもの自分はダメなのかな?」
でも、その考えはすぐに打ち消しました。
余裕のある今だからこそ、冷静に振り返ることができます。
「反省するところはあるけれど、いつだって私は一生懸命やっているじゃないか。」
もし、他の誰かが普段の私を見て「ダメだね」なんて言ったら、「毎日すごく頑張ってるよ!」とムキになって怒るでしょう。
それなのに、自分自身が一番よくわかっている自分の頑張りを否定してどうするんだと思ったのです。
このとき、ストンと腑に落ちるものがありました。
どんな出来事も、自分の捉え方次第で「幸せ」に繋げられるのかもしれない。
これまでもこのブログで「幸せは身近に転がっている」と書いてきましたが、もしかしたら少し違ったのかもしれません。
幸せは「転がっている」のではなく、自分の手で「拾い上げる」もの。
どんな石ころに見える出来事も、拾い上げて磨いてみれば、キラリと光るのかもしれない、と。
私の一日を「5つの幸福」で拾い集めてみたら
この「幸せを拾い集める癖」は、間違いなくこのブログを書き続けたことで育まれた、私の新しいスキルです。
例えば、私は毎日ブログを書く前に、今日あった良かったことや、頑張ったことなどのプラスの出来事を、メモアプリに箇条書きで書いています、
今日の出来事を「5つの幸福」の視点で拾い集めてみると、こんなにもたくさんの「幸せ」が見つかりました。
【身体的な幸福】
今日の夕飯は焼き魚でした。
普段はお肉が多い我が家ですが、たまに食べる魚は本当に美味しい。
舌が喜んでいるのを感じました(笑)
【キャリアの幸福】
職場で少しモヤモヤすることがあったのですが、AIに壁打ち相手になってもらい、自分の考えを言語化したら驚くほどスッキリしました。
育休中に趣味で学んだAIの活用スキルが、こんな形で本業に生きるなんて。
なんだか得した気分です。
【経済的な幸福】
娘を保育園に送り出したあと、少し出かけた際にそうめんを買いに行こうかと思いましたが、息子が肌着のままだったので家に帰ることに。
結果的に買い物に行かなかったので、お金を使わずに済みました。
ささやかですが、何もしなかったというのも立派に幸福につながります。
【社会的な幸福】
おでかけの途中、ご近所さんと車ですれ違いました。
車の中から会釈をすると、相手の方はニッコリ笑って手を振ってくれました。
地域に受け入れられているような、ほっこり温かい気持ちになりました。
【人間関係の幸福】
そして、先ほどの娘とのトイレのエピソード。
娘の笑顔が見られたことはもちろん、この出来事を通して「普段の自分の頑張り」を再確認できたという点では、私にとっての【キャリアの幸福】にも繋がっている気がします。
ほら、こんなにもたくさんの幸せが、一日の中に隠れていました。
あなたも「幸せ探し」を始めてみませんか?
心理学的に、人間は良いことよりも悪いことの方が記憶に残りやすいそうです。
次の同じような危険を避けるための、生存本能のようなものだとか。
だから、意識しなければ、一日の良かったことは嫌なことの影に埋もれてしまいがちです。
それを「えいっ!」と掘り出して、光を当ててあげる作業。
それが、私にとっての「振り返り」であり、このブログなのです。
嫌なことに頭を支配され続けるよりも、良かったことで心をいっぱいにして眠りにつく方が、きっと心も体も元気にいられると思いませんか?
もちろん、私だって最初からこんなにポジティブだったわけではありません。
以前はX(旧Twitter)で仕事の愚痴ばかり呟いていましたし、今でも時折、黒い感情が顔を出すこともあります。
それでも、こうして日々、意識的に幸せを拾い集めることを続けてきて、自分の変化をはっきりと感じています。
「機嫌の良い自分でいること」は、自分を楽にするだけでなく、大切な家族や周りの人にとっても、きっと良い影響を与えているはずです。
この記事を読んでくださったあなたも、今日から「幸せ拾い」を始めてみませんか?
いきなり5つの幸福を探すのは大変かもしれません。
でしたら、まずは一つだけで大丈夫。
今日の夜、眠る前に、たった一つでいいので「今日あった良かったこと」を思い出してみてください。
・お昼に食べたラーメンが美味しかったな。
・電車の乗り換えがスムーズだったな。
そんな、本当に些細なことで構いません。
その小さな光を見つける癖が、きっとあなたの明日を、そしてこれからの毎日を、少しずつ、でも確実に照らしてくれるはずです。
このブログが、あなたの毎日に隠れている幸せを見つける、小さなきっかけになれば嬉しいです。