皆さんは、ご実家の「これから」について、考えたことはありますか?
もしご自身が実家を継ぐ予定がないのなら、きっと一度は頭をよぎったことがあるのではないでしょうか。
「両親も歳をとったな。いつかいなくなってしまったら、この家はどうすればいいんだろう……。」
お盆を前に、日帰りで実家へ帰省した日のことです。
車を運転しながら、私はいつものようにそんなことを考えていました。
毎年の身長が刻まれている柱、暗くなるまでキャッチボールをした玄関に置いてあるグローブ。
大切な場所だからこそ、その「いつか」を考えると胸が締め付けられます。
私にはすでにマイホームがあり、実家に戻ることはありません。
両親がいなくなり、誰も住まなくなった家は、残念ながら処分するしか道はないでしょう。
考えるだけで本当に胸が締め付けられますが、管理の行き届かない空き家を維持するのは、金銭的にも労力的にも現実的ではありません。
私の故郷でも、雑草が生い茂り、害虫や獣のすみかとなって、ご近所トラブルの原因になっている家を時々見かけます。
大切な家だからこそ、そうはさせたくない。
家を処分するには、まず家の中を空っぽにする必要があります。
それも、両親との思い出が詰まったあの空間を、両親がいなくなってから、たった一人で。
懐かしい品々を前に、思い出に浸ったり、寂しさに涙したり……。
想像するだけで、途方もなく辛い作業であることは明らかです。
だから私は、勝手に決めたのです。
「両親が元気なうちに、少しずつ実家の断捨離を進めよう」と。
- 収納を増やす罪悪感と、大きな視点
- 片付けたい私、捨てたがらない親
- 母の優しさと、言葉の裏にある寂しさ
- 「過去」より「今」の思い出を
- 断捨離は「捨てる」ことじゃない
- あなたも、小さな一歩を踏み出してみませんか?
収納を増やす罪悪感と、大きな視点
今日の帰省の目的は、実家にある私の本棚を自宅に運び出すことでした。
我が家では子どもたちの絵本が増え続け、とうとう本棚がパンク状態に。
絵本をしまいきれず、床に置いたり本棚に横向きに押し込んだりしています。
しかし、我が家の断捨離も進めたい私にとって、家に「収納」を増やすことには、少し抵抗がありました。
でも、よく考えてみたのです。
これは実家にある「私の所有物」を自宅に持ってくるだけ。
家と実家、私という人間を中心とした大きな視点で見れば、物の総量は増えていない。
それに、我が家には二人の子どもがいます。
いずれはそれぞれに本棚が必要になるはず。
これは未来への投資でもある、と自分を納得させました。
片付けたい私、捨てたがらない親
実家の断捨離で最も大きな壁、それは「両親が物を捨てたがらないこと」ではないでしょうか。
考えてみれば当たり前です。
人は誰しも、大きな問題がなければ「今のままがいい」と思ってしまうもの。
変化には、少しだけ勇気とエネルギーが必要だからです。
両親にとっては、今の暮らしが長年の習慣であり、心地よい日常。
そこに「将来のために」と変化を求めるのは、こちらの都合なのかもしれません。
それに、自分たちがいなくなった後のことばかり考えて物を処分され始めたら、誰だって良い気分はしないはずです。
そこで私が立てた作戦は、「まずは自分の部屋から手をつける」こと。
これなら、両親のテリトリーを侵すことなく、文句も言われにくいだろうと考えました。
私の部屋が片付いて、メリットを感じることで、両親に断捨離を進めるモチベーションが起きるといいなと思います。
これまでに洋服や、かつて使っていた勉強机などを少しずつ処分してきました。
そして今日は、私の部屋から本棚を無くす日です。
母の優しさと、言葉の裏にある寂しさ
実家に着くと、玄関に例の本棚が運び出されていました。
丁寧にホコリが拭き取られ、いつでも運び出せる状態になっています。
私の部屋は2階。
母が一人で運んでくれたのでしょう。
その細やかな心遣いに、胸が温かくなりました。
「ただいまー!」
孫の元気な声が響くと、母がリビングから「よく来たねー」と嬉しそうに顔を出します。
そして、「どれどれ、ちょっとどのくらい重たくなったか抱っこさせて」と、孫たちを抱きしめるのがいつものお決まりです。
その顔は、本当に幸せそうで、私も嬉しくなります。
「本棚、運んでくれてありがとう。」
私がお礼を言うと、母は少し寂しそうな顔でこう言いました。
「部屋のもの、だいぶ少なくなったね。どこに何が置いてあったか、わからなくなってきたよ」
母にとって、私の部屋が片付いていくのは、息子との思い出が少しずつ消えていくように感じられるのかもしれません。
その気持ちは、私にも痛いほどわかります。
物がなくなった自分の部屋を見ると、「ああ、自分はもうこの家の住人ではないんだな」という事実を突きつけられ、どうしようもなく寂しくなるのですから。
「過去」より「今」の思い出を
でも、だからこそ、強く思うのです。
過去の記憶にすがりついて感傷に浸るのではなく、「今、この瞬間」を大切にしたい、と。
大切なのは、物理的な「物」ではありません。
両親が元気でいてくれる「今」、新しい思い出をたくさん共有することです。
孫を連れて帰り、私の幸せな姿を見せること。
一緒に出かけたり、庭で家庭菜園をしたり、他愛もない話で笑い合ったりすること。
そんな楽しい「今」の出来事の中でなら、過去の思い出も、きっと笑って話せるはずです。
断捨離は「捨てる」ことじゃない
実家の断捨離は、確かに寂しさを伴う行為です。
でも、その寂しさから目を背けていては、将来もっと大変な現実が待っています。
それに、断捨離は悪いことばかりではありません。
「片付けを手伝う」という口実があれば、両親に気兼ねなく会いに行くことができます。
私の部屋の片付けも、いよいよゴールが見えてきました。
自分の部屋が終わったら、次はいよいよ他の部屋です。
その時は、物に対する思い出を両親と語り合いながら、「これは大切だね」「これはもう良いかな」と、一緒に未来を選んでいきたいと思っています。
そう、断捨離は「いらないものを捨てる」行為ではありません。
「自分と家族にとって、本当に大切なものを残す」ための行為なのです。
過去の思い出が詰まった部屋を整理することは、決して思い出を捨てることではありません。
それは、「これからの時間」を両親と、そして自分自身が、より心地よく、より豊かに過ごすための準備です。
両親には、普段行くことのない息子の部屋に寂しさを感じるよりも、いつも使う部屋で大切なものや楽しい思い出に囲まれて過ごしてもらいたいと思います。
あなたも、小さな一歩を踏み出してみませんか?
この記事を読んで、少しでも心が動いたなら、小さくてもいいので行動に移してみませんか。
「実家どうしよう……。」
そんな不安を抱いて欲しいのではありません。
皆さんや皆さんのご両親にも、「今」の幸せを追求してもらいたいのです。
・次の帰省で、自分の部屋の引き出しを一つだけ整理してみる。
・「昔のアルバム、一緒に見ない?」と声をかけて、思い出話に花を咲かせる。
・「このお皿、素敵だから私が使ってもいい?」と、思い出の品を受け継いでみる。
実家の片付けは、未来の自分を助けるだけでなく、親との「今」をより豊かにしてくれる、最高の親孝行なのかもしれません。
いつか来るその日のために過去を整理することは、決して寂しいことばかりではありません。
むしろ、未来の自分が「あの時、話せてよかった」と笑顔で思い出せる、最高のプレゼントになるはずです。
もしお盆に帰省するのであれば、大切な両親と一緒に「今」を大切にする一歩を踏み出してみてください。
それは、自分自身と両親にとって、お金では買えない、かけがえのない【人間関係の幸福】につながっていると、私は信じています。