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【社会的な幸福】「手を抜いてる」のに評価UP?職場の居心地が劇的に変わった小さな習慣

あなたは職場でこんな風に感じたことはありませんか?

 

「自分なりに頑張っているのに、なぜか評価されない……。」

「職場の人間関係が、なんとなくギクシャクしている」

「職場に行くのが、少しだけ憂鬱……。」

 

もし一つでも当てはまるなら、ぜひこのまま読み進めてみてください。

 

実は私、最近「すごく頑張っているわけではない」という自覚があるのに、なぜか職場で褒められることが増えました。

そして、いつも憂鬱だった職場が、今では少しずつ「居心地のいい場所」に変わりつつあります。

 

特別なスキルを身につけたわけではありません。

変えたのは、たった一つの「意識」と「行動」だけでした。

 

今日は、私の体験談と、誰でも簡単に真似できる「職場の幸福度を上げる小さな習慣」についてお話しします。

 

「私、何もしてないのに…」戸惑うほどの感謝

私は学校で教師をしています。

昨日も、同僚の先生から立て続けに2つのことで褒めていただきました。

 

1つ目:「図書委員会、頑張ってるね。生徒が生き生きしてるよ!」

私の学校の図書委員会は、最近活動が活発です。

おすすめの本の紹介、図書館でのスタンプラリー、学級文庫の新しい貸出システムなど、生徒たちが次々とアイデアを出してくれます。

 

でも、正直に言うと、私はほとんど何もしていません。 

 

生徒たちの「やりたい!」という発案を、AI(ChatGPTなど)に「どうすれば実現できるか」「持続可能な活動にするには?」と相談して、穴を埋めるだけ。

AIがまとめた案を生徒に戻し、生徒が最終調整して実行する。

 

私は文字通り「生徒とAIに任せている」だけなのに、なぜか私が褒められました。

もちろん、生徒たちが生き生きと活動しているのは事実ですが、それは私の手柄ではないような……。

「ご相伴に預かっている」感覚でした。

 

2つ目:「休み時間に学校内を回ってくれてありがとね」

これも、本当に大したことではありません。 

昼休みに体育館や教室、廊下をフラフラと歩いているだけです。

 

私の勤める学校は、特に荒れているわけではないのですが、「小さな問題」が日常的に起こります。

 

「〇〇さんが人にボールをぶつけてます!」 

「〇〇さんにものを取られました!」

 

私がフラフラしていると、いつの間にか生徒たちがそういったことを「言いつけて」くるようになりました。

正直、「そのぐらい自分たちで解決してほしいなあ」と思うような、本当にささいなことばかりです笑

 

それでも、知ってしまった以上は軽く指導します。

いつかは自分たちで解決できる力をつけてほしいと思いつつ、今はその手助けをしています。

 

そんな「ただ歩いているだけ」の行動まで褒めてもらえたのです。

 

なぜ「大したことない」のに褒められるのか?

褒められるのは素直に嬉しい反面、「いやいや、何もしていませんよ」「他の先生方も、この程度のことならやっているよな」という気持ちが強くありました。

 

「なぜ私は、こんなに声をかけてもらえるんだろう?」

 

そう考えたとき、一つの可能性に思い至りました。 

それは、「やっていることを、意識的に報告・連絡しているから」です。

 

これは、今までと明確に行動を変えた点でした。

 

「幸福のデリバリー」を始めてみた

この行動を始めたきっかけは、とあるYouTubeの動画でした。 

その動画は「不幸のデリバリーはやめよう。」と訴えていました。

 

人は無意識のうちに、ネガティブな情報(愚痴、不満、誰かの失敗談など)を他人に伝えてしまうことがあります。

学校という職場でも、それは同じです。 

 

「〇〇さんが、またこんな問題行動をしていました。」 こうした「悪いこと」の共有は、生徒の成長のために必要な情報連携です。

でも、言われた方は、いい気分はしません。 必要なことだと分かっていても、心が少し重くなります。

 

「先生たちはみんな毎日頑張っているんだから、少しでもいい気分になってもらいたい。」

 

そう思った私は、「不幸のデリバリー」の逆、「幸福のデリバリー」を意識することにしました。

 

やっていることは単純です。

・「図書委員会では今、〇〇キャンペーンを行っています」とメールで先生方に周知する。

・「今日は〇〇さんが教室で集中して勉強してましたよ。」と担任の先生に伝える。

 

せっかく生徒たちが頑張っていることや、巡回中に見えた生徒たちの「いいところ」を、積極的に共有するようにしたのです。

 

「人のため」が「自分の幸福」に変わった

これを始めてから、面白い変化が起こりました。

 

私が「幸福のデリバリー」をすると、周りからは「委員会頑張ってるね」「いつも見てもらってありがとう」というポジティブな反応が返ってくるようになったのです。

「人のため」と思って始めた情報共有が、巡り巡って私への「感謝」として返ってきたのです。

 

さらに、私自身の心持ちも変わりました。

 

・良いところを報告するために、生徒や同僚の「良い面」を自然と探すようになった。

・ポジティブな報告をするので、自分自身もいい気分になる。

・感謝されることで、あんなに嫌だった学校(職場)が、少し好きになってきた。

・「もっと貢献したい」とさえ思えるようになった。

 

やっていること自体は、生徒に任せて手を抜いたり、フラフラ歩いたりしているだけ。 

それなのに、職場での評価が上がり、コミュニティ(職場)での居心地が良くなるという、私にとっての【社会的な幸福】が格段に上がったのです。

 

あなたも「幸福のデリバリー」を試してみませんか?

もし今、あなたが職場での評価や人間関係に少し悩んでいるなら、ほんの少しの意識と行動で、状況は変えられるかもしれません。

大げさなことをする必要はありません。

 

・同僚の「小さな美点」を伝える:「さっきの資料、すごく分かりやすかったです」 「〇〇さんのその服、素敵ですね」(意外と服装や持ち物も有効です)

・チームの「小さな進捗」を共有する:「(自慢にならない程度に)今進めているプロジェクト、順調ですよ」

・「ありがとう」を具体的に伝える:「(ただ「ありがとう」ではなく)〇〇さんが手伝ってくれたおかげで、早く帰れます。ありがとう!」

 

ポイントは、「見返りを期待しすぎないこと」です。

 

「自分に返ってくるならやりたい!」と思って始めると、返ってこなかったときに腹が立ってしまいます。

それでは続きませんし、本末転倒です。

 

まずは「これは自己満足だから」「誰かがちょっとでもいい気分になってくれたらラッキー」くらいの軽い気持ちで始めてみてください。

 

その小さな行動が、あなたの職場の空気を変え、巡り巡ってあなた自身の【社会的な幸福】を育んでくれるはずです。

 

あなたの職場では、どんな「幸福のデリバリー」ができそうですか?

または、すでに実践していますか? 

もしよければ、あなたのアイデアや体験談もコメントで教えてくださいね。

 

 

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あなたの日常にも隠れている、たくさんの幸福を見つける手助けができますように。

 

 

【人間関係の幸福】その遊び、賞味期限はいつ?育児に疲れたあなたへ伝えたい1つのこと

「早く大きくなって、少し楽をさせてくれないかな。」

「この遊び、一体あと何回やれば満足するんだろう……。」

 

お子さんとの毎日の暮らしの中で、ふとそんな風に感じてしまう瞬間はありませんか?

 

私もつい昨日までそう思っていました。

まだ歩くのが苦手な息子の「抱っこ!」や、何度でも繰り返される娘の「遊んで!」コールに、つい溜息が出てしまうことも多いです。

 

でも昨日、息子との何気ない遊びの中で、ハッとする事実に気づかされました。 

それは、今やっているこの遊びは、驚くほど「賞味期限」が短いということです。

 

新開発「お腹トランポリン」

昨日、私がリビングで仰向けに寝転がっていると、最近ようやく歩き始めた1歳の息子がよじ登ってきました。 

そして、なぜか私のお腹の上にちょこんと座ったまま、

 

「こっこってー!」(抱っこしてー!)

 

と主張してきます。 

 

(いや、もうお腹の上に乗ってるし、これ以上どう抱っこを……?) と思いながら、「いいよ〜。じゃあ、こうね!」と、仰向けのまま息子の両脇を支えて持ち上げ、お腹の上に立たせてみました。

 

グラグラする不安定なお腹の上、息子は私の手をぎゅっと握りしめ、懸命にバランスを取ろうとしています。

揺れるのが少し怖いのか、口を「お〜」と尖らせる姿が可愛くて、私もつい「お〜」と真似をしてしまいました。

 

しばらくすると、息子はさらに新たな遊びを開発。 

お腹の弾力を楽しむように、縦揺れを始めたのです。

 

いわば「お腹トランポリン」

 

息子が揺れるたび、私のお腹は潰され「あー!」「おー!」と情けない声が漏れます。

どうやら息子はその私の反応も楽しいらしく、ケラケラ笑いながら何度も縦揺れを繰り返していました。

 

さらに、疲れると、わざと「どしん!」とお尻から倒れ込みます。 

その衝撃は縦揺れの比ではなく、思わず「ぐえっ!」と声が出てしまうのですが、もちろん息子はそれも大喜び。

 

息子は、私の反応を見ながら、座ったり、立ったり、縦揺れしたり。 

息子が飽きるまで、私はひたすら人間トランポリンになっていました。

 

この「お腹トランポリン」、特別な道具もいらず、親は寝ているだけなので(衝撃はすごいですが)、実はけっこうオススメの遊びです。 1歳くらいだと体幹もしっかりしてくるので、親のお腹の不安定さが楽しいようです。手を握って支えを作ってあげれば、安心して遊べますよ。

 

気づいてしまった「賞味期限」

息子の重さを感じながら、ふと、あることを思い出しました。

 

「そういえばこれ、同じようなことを娘ともやったな。」

 

隣でテレビを見ていた4歳の娘も、息子と同じくらいの月齢のとき、この「お腹トランポリン」が大好きでした。

私のお腹の上でグラグラするのを楽しんでいたのです。

 

「……でも、もうできないよな。」

 

娘はもう4歳。

お腹に立たせるには重たすぎます。

それに、もし今お腹の上に立たせたとしたら、腰をかがめないと手も繋げないくらい、身長も伸びています。

 

その事実に気づいた瞬間、嬉しいような寂しいようなむずむずした感覚が全身を巡りました。

 

「ああ、この遊びは期間限定だったんだ。それも、想像していたよりずっと短い期間の。」

 

そう思うと、さっきまで「ちょっと重いな。」と感じていた息子の体重が、急にとても愛おしいものに変わりました。

 

「キツイから」と断っていた遊び

子供との遊びは、あっという間にできなくなってしまいます。

 

そういえば、最近もできなくなりそうな遊びがありました。 

 

私が仰向けになって膝を立て、子供が私の脛(すね)を抱きかかえるように足の甲に乗る、あの遊びです。

私が足の力で子供を持ち上げ、膝を曲げ伸ばしすると、子供が手を広げて「飛行機!」と空を飛ぶ真似をします。

 

これ、実はかなりハードな腹筋運動です。 

最近は娘が大きくなり、膝を伸ばしきったところで腹筋が耐えきれず、そのまま足を下ろしてしまうことが増えました。

 

あまりにもキツイので、娘が「飛行機やって!」と脛に抱きついてきても、「ごめん、今はちょっと疲れてるから。」と断ることが増えていました。

 

でも、昨日の「お腹トランポリン」の一件で決めました。 

これからは、腹筋の限界がくるまで遊んであげようと。

 

だって、この遊びもいつか必ずできなくなるのですから。 

そして、その「いつか」は、想像よりもずっと早くやってくるのですから。

 

「今」の重さを楽しむ幸福

親というのは本当に勝手なものです。 

 

「早く一人で寝てほしい。」

「早くオムツが外れてほしい。」

と「早く大きくなれ〜!」と願う一方で、

 

「まだもう少し、この小さいままでいいよ。」

と望んでしまうことがあります。

 

しかし、子供の成長は待ってくれません。

息子の重さを心地よく感じながら、将来できなくなってしまったことに後悔しないよう、「今」を大切に味わいながら過ごしたいと、強く思いました。

 

この「重さ」や「キツさ」は、「今この瞬間」にしか感じられない、かけがえのない【人間関係の幸福】の証なのだと思います。

 

あなたにも、お子さんとの「今しかできない遊び」はありませんか?

 

それは、お子さんを思いっきり「高い高い」することかもしれませんし、お風呂で一緒に数を数えることかもしれません。 

あるいは、寝る前に絵本を読んであげることかもしれません。

 

もし今日、育児に少し疲れたなと感じたら、その「今だけ」を意識して、一つだけ全力で遊んでみてはいかがでしょうか。

 

皆さんが、お子さんとの「今」を愛おしく感じた瞬間や、我が家だけの「期間限定の遊び」があれば、ぜひコメントで教えてください。

 

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あなたの日常にも、たくさんの幸福が隠れていますように。

 

 

【身体的な幸福】眠気とイライラを吹き飛ばせ!「おうちカラオケ大会」

身体が疲れていると、心まで余裕がなくなってしまいますよね。

 

このブログでは、「幸福」を以下の5つに分けて考えています。

①身体的な幸福(心身のコンディション)

②キャリアの幸福(仕事や趣味の充実)

③経済的な幸福(お金との健全な関係)

④人間関係の幸福(大切な人とのつながり)

⑤社会的な幸福(コミュニティへの所属感)

 

私はこの中でも、土台となる【①身体的な幸福】が崩れると、すべてが台無しになってしまうと痛感しています。

どれだけキャリアが順調でも、人間関係が良くても、お金を持っていても、体や心が壊れてしまうと何も楽しめないからです。

 

今日は、まさに私が「寝不足の限界」=「心身の限界」を迎え、家族に八つ当たりする寸前だった夜に、すべてを解決してくれた意外な方法についてお話しします。

 

限界を知らせるアラーム

その日は、朝2時からの仕事の影響で、私は文字通り「寝不足の限界」を迎えていました。

朝ごはんを食べ終えた直後からすでに眠く、娘を保育園に送ったあと、妻に「10分後に起こして」と頼んで仮眠をとったほどです。

 

日中の勤務時間はなんとか気力で耐え抜きましたが、帰宅して緊張の糸が切れると、鉛のような眠気が全身を襲いました。

まぶたは重いし、頭はモヤがかかったようにうまく働きません。

 

夕飯を食べ終えたのは、まだ夜の7時。 

当然、子供たちは元気いっぱいです。

 

妻がお風呂に入っている間、私は子供たちとおもちゃ部屋で遊び始めましたが、すぐに自分の異変に気づきました。

いつもなら微笑ましく聞こえるはずの子供たちの「パパ、パパ!」「見て、見て!」という声が、その時ばかりはうるさく感じてしまったのです。

 

「まずい、眠すぎてイライラしている。」

 

眠気が原因だと頭でわかっていても、イライラは消えてくれません。

 

少しでも気持ちを落ち着けようと横になっても、子供たちは容赦なくまとわりついてきます。

私が疲れているのは、子供たちには関係のない話です。

 

このままでは、楽しいはずの家族の時間を台無しにしてしまう。

大好きな子供たちに怖い思いをさせて、後で自分が罪悪感に苦しむ。

 

せっかく1日の終わりをこうして楽しく過ごせているのだから、この幸せな時間を自分の手で壊すことだけは絶対に避けなければならないと思いました。

 

眠気を吹き飛ばす「物理的な」解決策

どうにかして、この最悪のコンディションを整えなければ……。

しかし、子供たちと一緒では寝ることもできません。

 

そこで思いついたのが「歌」でした。

スマホを手に取り、YouTubeを開き、好きなバンドの歌を流し始めました。

 

初めはBGMのつもりでした。

テンションの上がる曲を流していたら眠気もなくなるかなと。

 

目論見通り、少しずつテンションが上がり、いつの間にか歌を口ずさんでいました。

 

「よし、歌っちゃおう!」

 

今考えると眠気のせいもあったのかもしれません。

初めての試みでしたが、テンションの上がった私は、カラオケボックスにいるかのように大きな声で歌ってみました。

(ご近所さんとの距離が離れている田舎だからこそできる荒療治ですね。)

 

すると、驚くべき変化が起きました。

歌い始めると、あれほど重くまぶたにのしかかっていた眠気が、スッと薄れていくのを感じたのです。 

イライラしていた気持ちも鎮まり、むしろ体が動いてきます

 

1曲で終わることなど到底できず、すかさず次の曲へ。 

気分が良くなると「音量が小さい」とさえ感じ始め、ボリュームを上げると、私の歌声もさらに大きくなります。

 

リビングは、完全にカラオケルームと化していました。

 

心と体が「再起動」する感覚

妻がお風呂から上がってくる頃には、娘も一緒に歌っていました。 

知らない曲のはずなのに、1番でリズムを覚え、2番で口ずさんでいます。

 

妻が戻ってきて言いました。

「すごい声だったね。お風呂まで聞こえてたよ。」

 

「ああごめん。ご近所さんにも聞こえてるかもと思ったけど、やっちゃった。」

正直、自分でも大きな声で歌いすぎたと反省していました。

それでも気持ちが良くて止まれなかったんです。

 

「ご近所さんも外にいないだろうから大丈夫でしょ。それよりも、ストレス溜まってるんだろうなと思って、心配しながら聞いてた。」

 

妻の言う通りでした。 

歌が楽しかったのもありますが、それ以上に、「大きな声を出す」という物理的な行動が、体に溜まっていたストレスと疲労感を吹き飛ばしてくれたのです。

 

おかげで、私は子供たちにイライラをぶつけることなく、むしろ娘はノリノリで歌い、息子も体を揺らして楽しそうにしていました。

 

「歌の力はすごい」と単純に思いましたが、これはストレスや疲れを吹き飛ばし、【身体的な幸福】を取り戻すための、非常に有効な手段だと気づきました。

 

最高のコンディションは「自分で作る」

歌っているうちに、昔夢中になったロックバンドのことを思い出していました。

 

「あの頃はなんでもできる気がしたな。」

「自分の限界を決めているのは自分だ。」

 

そんな熱い気持ちが蘇ってきて、眠気で死んでいた心が、一気に元気を取り戻していくのを感じました。

 

もちろん、睡眠不足のときは寝るのが一番体にいい。

それは大前提です。 

 

それでも、どうしようもなく眠れない時、コンディションが最悪な時があります。

 

そんな時、音楽の力を借りたり、「大声を出す」という物理的な力で体を無理やり再起動させたりするのは、とても良い方法だと思いました。

 

・昔のロックで、あの頃の熱さを思い出す。

・子供時代のアニメソングで、無邪気さを思い出す。

・つらい時に聞いたバラードで、這い上がった気持ちを思い出す。

 

音楽は、私たちの「身体的なコンディション」に直接作用し、「心の元気」まで取り戻してくれる力があるようです。

 

もちろん、「さすがに家で絶叫は無理!」という方も多いと思います。

そんな時は、

 

・車の中(通勤中や買い物帰り)で熱唱する

・お風呂場で(響きすぎない程度に)思い切り歌う

・カラオケアプリとイヤホンマイクを使って、没入して歌う

・(究極ですが)防音マイク(よくあるカップ型のマイク)を使ってみる

 

など、自分に合った「プチ絶叫」スペースを見つけるだけでも、効果は絶大だと思います。 

大事なのは「大きな声を出す」という物理的な行動で、体にスイッチを入れることですから。

 

体の疲れはすぐには取れなくとも、心の疲れは吹き飛ばすことができます。

自分自身の最高のコンディションは、自分自身で作れるのです。

 

あなたは「身体的なコンディション」が最悪な時、どうやって乗り切っていますか?

睡眠や栄養ドリンク以外で、あなたの「心と体のスイッチ」を強制的に入れ直す、とっておきの方法があれば、ぜひコメントで教えてください。

 

 

 

その他のストレス解消方法はこちら↓

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【人間関係の幸福】10分だけのヒーロー体験。忙しさの中に見つけた確かな温もり

忙しい毎日、仕事や家事に追われていると、つい大切な人との「ほっこりする時間」を見失いがちになりませんか?

 

「幸せ」というと、旅行やイベントのような大きな出来事を想像してしまうかもしれません。

でも実は、日常の本当に些細な瞬間にこそ、心をじんわりと満たしてくれる温もりが隠されています。

 

このブログでは、そんな日常に潜む「幸福」の体験談を綴っています。

今日は、私が深夜の仕事中に体験した、たった10分間の短い短い出来事についてお話しします。

でもその体験は、私にとっては大きな大きな【人間関係の幸福】となったのです。

 

真夜中の仕事を中断させる声

その日、私は深夜2時ごろから本業の仕事をしていました。

(といっても、勤務時間内に終わらなかった資料作りを持ち帰ってやっていただけなのですが。)

 

普段は子供たちの声が響き渡る賑やかな我が家も、この時間ばかりは静まり返っています。

一人パソコンに向かうこの夜の時間は、集中できるので意外と嫌いではありません。

 

「静かで作業がはかどるなぁ。」

 

そんなことを考えながらキーボードを叩いていると、寝室からハッキリとした声が聞こえてきました。

 

「えーん……、えーん……。」

 

一瞬ドキッとしましたが、これは4歳の娘の寝言です笑

娘は時々、こんなふうに大きな寝言を言うのです。

 

隣で寝ている時に起こされると正直ちょっと迷惑ですが、こうして起きている時に聞くと、なんだか可愛らしくて頬が緩みます笑

 

「また何か言ってるな。」

 

そう思っていると、声は自然と聞こえなくなりました。

再び寝入ったか、妻が対応してくれたのでしょう。

 

見ていないのに、可愛らしい娘と寝ぼけながら娘をトントンする妻の姿が見えました。

 

ヒーロー、出動の時

しかし、静寂が戻ったのも束の間。

またしばらくすると、今度は別の声が聞こえてきました。

 

「ぎゃー!!」

 

これは悲鳴ではありません。

1歳の息子の、いつもの泣き声です。

 

息子は夜中に何度か目を覚まします。

いや、目を覚ますというよりは、寝つきが悪くて泣いてしまう、といった方が近いかもしれません。

 

この日も、一度泣き止んだかと思うと、数分後にまた泣き出していました。

その度に妻が起きて対応してくれているようです。

 

何度も聞こえる息子の泣き声に、妻の苦労を思いながら仕事をしていました。

「また対応してくれているな…」と。

 

しかし、今までよりも長い何度目かの泣き声に、ついに、いてもたってもいられなくなりました。

もちろん、「気になって仕事が手につかない」というのもありましたが、それ以上に「今、自分が行けば、妻が少しでも長く眠れるかもしれない。」という気持ちが勝りました。

 

資料作りを中断し、私は寝室へと向かいました。

 

(……でも、私が行くことで、逆に息子の目が覚めてしまったらどうしよう。)

 

そんな不安もよぎりましたが、今は何より妻に少しでもゆっくり眠ってほしい。

その一心で、足音を抑えながらも足早に寝室のドアを開けました。

 

たった10分間の幸福な任務

寝室では、案の定、息子がまだ寝付けずにモゾモゾしていました。

妻が私の登場に少し驚いていたような気がしますが、構わずに息子をそっと抱き上げます。

 

「どうした?大丈夫だよ。」

息子の耳元で囁きます。

 

この可愛らしい息子は、一体どうしてこうも泣くのでしょうか。

 

数年前、娘も同じように夜泣きをする時期がありました。

おしゃべりができるようになってから「怖い夢見たの?」と聞くと、「うん」と答えてくれたこともあります。

(私が聞いたからそう答えただけかもしれませんが……。)

 

もし本当に怖い夢を見ているなら、かわいそうです。

なんとか安心させてあげたい。

 

そんな記憶を思い出しながら、当時と同じ気持ちで息子を抱っこしました。

 

「この子たちが泣かないでいられるようにしたい。」

 

そんな甘々な親バカ心ですが、寝ている間くらいは、どうか良い夢を見てほしいと心から願います。

 

息子を抱っこして、落ち着くように背中をトントンと優しくさすりながら、部屋の中をゆっくりと揺れたり歩いたり。

すると、数分も経たないうちに、腕の中で小さな寝息が聞こえ始めました。

 

「……よし、任務完了。」

 

「息子のことを救えたかな?」と思うと、自分がなんだかヒーローのように感じられました。

大袈裟かもしれませんが、「自分が必要とされている実感」「家族を守れた」という小さな達成感が、深夜の疲れを吹き飛ばしてくれたのです。

 

そっと息子を布団に降ろし、お気に入りの毛布をかけます。

リビングに戻る前に、すやすや眠る娘にも、お気に入りの毛布をかけ直しました。

 

起きているときとは打って変わって、静かに眠る2人の寝顔を見て、「やっぱり可愛いな」と、心の底から思ったのでした。

 

幸せは「気づく力」

寝室に行ってからリビングに戻るまで、わずか10分足らずの出来事。

でも、そこには確かに「幸せ」がありました。

 

幸福の大きさは、時間の長さでは決まりません。

 

忙しい毎日の中では、子供の寝言や夜泣きを「睡眠を妨害するもの」「面倒なこと」と捉えてしまいがちです。

私も、普段寝ている時に起こされればそう思ってしまいます。

 

でも、ほんの少し見方を変えて、「自分を必要としてくれている瞬間だ」「家族の温もりを感じる貴重な時間だ」と捉え直す(=解釈を変える)だけで、それはストレスから「確かな幸福」に変わるのです。

 

大切なのは、どんな時間を過ごすか

そして、その瞬間に「あ、今すごく幸せだ」と自分で気づき、味わう力です。

 

私にとっての深夜のヒーロー体験は、まさにそんな「気づき」をくれた、小さな、でも確かな【人間関係の幸福】でした。

これからも、日常に隠された小さな幸せのサインを見つけられるように、このブログを書きながら力をつけていきたいです。

 

あなたは最近、どんな「小さな幸せ」を感じましたか?

それは、家族との何気ない会話かもしれませんし、美味しいコーヒーを淹れられた瞬間かもしれません。

 

ぜひ、あなたの「ほっこりした瞬間」や、誰かのための「小さなヒーロー体験」があれば、コメントで教えてください。

 

一緒に幸せのかけらを集めていきましょー!



 

 

【人間関係の幸福】親を動かす子供の笑顔。「面倒くさい」が「行ってよかった」に変わる魔法

「せっかくの休日。疲れが溜まっていて、本当は1日中寝ていたい……。」

「子どもはどこかへ行きたそうにしているけど、重い腰が上がらない……。」

 

そんな葛藤を抱えることはありませんか?

前の日にお出かけをすると、次の日はもう体力ゲージがゼロに近いですよね。

 

昨日の私も、前の日に頑張りすぎたせいで、まさにそんな「限界休日」の朝を迎えていました。

でも、ほんの少し勇気を出して重い腰を上げた結果、それが「最高の1日」に変わったんです。

 

今日は、疲れや面倒くささを乗り越えた先にある、【人間関係の幸福】についてお話ししたいと思います。

 

重い空気の休日の朝

前の日のお出かけで、私の体力は尽きていました。

「今日はゆっくりしよう」と決め込み、朝は寝坊。

 

起きてからも、ゆっくり朝ごはんを食べ、子どもたちにはテレビを見せ続ける。

そんな典型的な「ダラダラした休日」を過ごしていました。

 

娘は最近、保育園に慣れてきた一方で、「あと何回行ったらお休み?」と休日を心待ちにするようになっています。

毎日頑張っている娘にとって、心待ちにしていた休日です。

 

それなのに、私は少し娘を放っておいてしまいました。

1人で静かにテレビを見ている娘の後ろ姿をボーッと眺めていて、ふと「これではいけない。娘が心待ちにしていた休日が、このまま終わってしまう。」と思ったのです。

 

娘の笑顔が、私を動かした

その時、冷蔵庫に貼ってあった一枚のチラシを思い出しました。

娘が保育園からもらってきた、近所の体育館での「制作体験イベント」のチラシです。

 

娘は以前、そのチラシを私に見せて「これ行きたい!」と目を輝かせていました。

そのときの私は「前の日もお出かけしてるから、みんなが疲れてたら行けないかもね」と、確約を避けていたのです。

 

案の定、体は疲れています。

しかし、

「このまま体力回復だけの日曜日にしていいのか?」

「娘が心待ちにしていた休日を、こんな風に終わらせていいのか?」

 

そんな葛藤が湧いてきました。

 

私はテレビを見ていた娘に、冷蔵庫のチラシを見せながら聞きました。

 

「これ、やっぱり行きたい?」

 

それまで無表情で静かにテレビを見ていた娘が、次の瞬間、「うん!」と満面の笑みをこぼし、ピョンピョンと飛び跳ね始めたのです。

その笑顔を見た瞬間、私の心の迷いは消え去りました。

 

「行ってよかった」が溢れた時間

そうと決まれば急いで出発です。

朝ごはんを食べ終えて朝寝をしにいった妻と息子を起こします。

散らかった部屋の片付けは後回し!

娘がたくさん遊べるように、とにかく急いで出発です!

 

初めは楽しそうにおしゃべりをして、楽しそうにウキウキが漏れ出ていた娘も、前日の疲れが残っていたのか、いつの間にかスヤスヤと眠ってしまいました。

そんな寝顔も可愛くて、見ているだけで癒されます。

 

会場に到着し、「着いたよー」と起こすと、娘は「えー、はやー!もう着いたの?」と驚いています。

「娘ちゃんが寝てたから早いんだよ」と言うと、「寝ていないよ!」と謎の意地っ張り笑

 「そっか〜。寝てなかったか〜」と乗ってあげると、「うん!全然寝てない!」と言い張っていました。

 

こんな何気ないやりとりも、私にとっては幸せな家族の時間です。

 

会場に着くと、娘も息子も大興奮。

息子は会場内をハイハイで歩き回り、発見したブロック遊びに夢中になって動かなくなりました笑

 

息子が大人しいうちに、娘は目的の制作体験を端から順にめぐっていくことにしました。

風車、竹とんぼ、バルーンアート……どれも楽しそうです。

 

風車のコーナーでは、「これは難しいからお母さんにやってもらおうね。」とスタッフの方に言われても、「私、できる!」と張り切り、真剣な顔で取り組んでいました。

 

スタッフの方も「じゃあやってみようか。」と嫌な顔をせずに対応してくださり、ありがたかったです。

娘は自分で作った風車に何度も息を吹きかけていました。

 

楽しそうな娘の姿に、こちらの心まで満たされるようでした。

 

念願の「射的」と、時間いっぱいの大満喫

会場には縁日コーナーもあり、そこには娘がずっとやりたがっていた「射的」がありました。

今年の夏祭りで見かけて「あれやりたい!」と言ったものの、お小遣いが足りずに諦めた射的です。

あれ以来、思い出すたびに「バーン、のやつやりたい!」と言っていました。

 

やっと念願が叶った娘。 

力が足りず、コルクを込めたり引き金を引いたりは1人ではできませんでしたが、狙いを定める顔は真剣そのもの。 

(途中、なぜか射的のおじさんを撃つという珍事もありましたが、笑って許してくれました笑)

 

いろいろなコーナーを遊び尽くして、「もうすぐ終わりの時間だよ。」というと、娘はまだ行っていないコーナーをキョロキョロ。

最後の最後まで遊び尽くしたいようです。

 

最後に選ばれたのは万華鏡作りでした。

紙コップにフィルムテープを張り、周りに絵を描いていきます。

スタッフさんに、「上の電気を見てごらん。」と言われてコップを覗き込むと、色とりどりの光がキラキラしていました。

 

終わりの時間ギリギリまで遊び尽くし、大満足の娘。

かと思いきや、最後に息子と一緒にバルーンアートのところへ歩いていき、飾ってあった一番大きいバルーンを指さしていました。

 

「これは貰えるものじゃなくて、会場の飾りだよ。」と説明しましたが、スタッフさんも「もう片付けるからあげるね。」と笑顔でバルーンをくれました。

子供の無邪気さは強いです笑

 

帰りの車の中、会場でもらったおやつを食べながら、「楽しかったね〜!」とニコニコしている娘を見て、私は「やっぱり来て良かったな」と、心の底から思いました。

 

私を動かす「魔法の力」

家に帰ると、妻が「パパはすごいね。あんなに疲れてたから、今日は行かないかと思った」と言ってくれました。

 

でも、私を動かしたのは「父親としての責任感」なんかじゃありません。 

私を動かしたのは、紛れもなく「娘のあの笑顔」です。

 

「行きたい!」と飛び跳ねた時の笑顔。

「楽しかったね!」と振り返った時の笑顔。

 

その笑顔が見られるなら、親はどんなことでも頑張れてしまう。

子どもたちの影響力って、本当にすごいなと改めて感じました。

 

「面倒くさい」を乗り越える小さな一歩

もし今、あなたが休日の疲れで動けずにいるなら。 

もし、「何かしたい」という家族の視線を感じながらも、「面倒くさい」が勝ってしまいそうなら。

 

完璧な準備なんていりません。 

部屋が散らかったままでも、お昼ご飯が適当でも大丈夫。

 

「ちょっとだけ行ってみる?」 

「30分だけ付き合ってみる?」

 

その小さな一歩が、あなたの「面倒くさい」を「行ってよかった」という温かい幸福感に変えてくれるかもしれません。 

 

体力的な疲れは寝れば回復しますが、子どもと過ごせる「今」という時間は、二度と戻ってこないのですから。

 

この記事を書いている今も、起きてきた娘が昨日作った万華鏡を手に取り、私に最高の笑顔を向けながら言ってくれました。 

 

「パパ、もう一回、綺麗なのやってみたい!」

 

これ以上に「行ってよかった」と思える報酬はないですね。

 

 

皆さんにも、こんなエピソードはありませんか?

「面倒だけど、やってみたら最高だった!」

「こんな休日の過ごし方もいいよ!」

 

もしそんなエピソードがあれば、ぜひこの記事のコメント欄で教えてください。

 

また、私のX(旧Twitter)では、ブログの更新情報はもちろん、「ブログには書かない、日常で見つけた5つの幸福のヒント」「リアルな葛藤や、それを乗り越えた気づき」 などを、もっとゆるく発信しています。

 

「ゆるく幸福を追求する仲間が欲しいな。」

「他の人の幸福のヒントも見てみたい。」

 

そう感じていただけたら、ぜひフォローして、一緒に「ゆるい幸福」を見つける仲間になってくれると嬉しいです!

 

 

 

 

前日に体力が尽きた理由はこちら↓

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【人間関係の幸福】「地獄だ」と思った昨日も、宝物に変わる!11kgの重さと「今しかない」幸せ

「子育てが大変すぎて、もう限界!」

「どうして私ばかりこんなに辛いの?」

 

日々の育児に追われ、そんなふうに感じて自己嫌悪に陥ってしまうことはありませんか?

 

何を隠そう、昨日の私がまさにその状態でした。

昨日の私は、寝る前、妻に「もう抱っこしたくない」「もう声も聞きたくない」と本気で弱音を吐くほど、心身ともに疲弊しきっていたのです。

 

でも、本当に心から不思議なのですが、たった一晩寝て起きた今、昨日のあの大変だった1日を「あれもやっぱり幸せだったんだな」と、温かい気持ちで振り返ることができています。

 

この記事は、子育ての「大変さ」の真っ只中にいて幸せを見失いがちなあなたへ、日々の苦労が愛おしさに変わる「ある視点」についてお話しします。

 

娘はおもちゃ遊び、息子は旅へ

昨日は、家族総出でショッピングモールの遊び場へお出かけでした。 

お買い物が目的ではなく、そこの子供の遊び場に行くためです。

 

4歳の娘とは1週間以上前から約束していました。

話題にしていなかったのに、3日前くらいから「楽しみで眠れな〜い!」と(どこで覚えてきたのか)言い出すほど心待ちにしていた娘。

到着するなり、おもちゃコーナーに一直線です。

 

ブロック、パズル、おままごとセット……。

家にはないおもちゃに娘は完全に集中モード。

 

こうなると親のことは目に入らず、1歳の息子は遊びを邪魔する存在です。

お姉ちゃんのことが大好きな息子は何度もおもちゃを取ろうとして、娘に「やめて!」「あっち行って!」と大きな声で怒られてしまいます。

 

何度か泣かされて姉と遊ぶことを諦めた息子は、そのままハイハイで自由な旅に出てしまいました。

遊んでいる娘は妻に任せ、私は息子のハイハイ旅に付き合うことにしました。

 

このときは、あんな地獄が待ち受けているとは思いもしませんでした……笑

 

「もう限界!」地獄の無限ループ

1歳の息子は、まさに自由人。

一番焦ったのは、談笑している他の親御さんを支えにして、つかまり立ちをしようとしたときです笑

 

その時は笑い事ではなく、「すみません!」と叫んで即座に引き剥がしましたが、今こうして思い出すと笑えてくるから不思議です。

 

幸い、そのお父さんたちは「かわいいね〜」と息子に話しかけてくれる優しい方々でした。

「自分の子供も同じ1歳なんです。」と穏やかな笑顔で話してくれたことに味を占めた息子は、何度でもそのお父さんのところへ寄っていきます。

私が何度抱っこして遠くに連れて行っても、磁石のように吸い寄せられていくのです。

 

最終的には、抱っこして連れ去ろうとすると、海老反りになって大声で泣き出す始末でした。

お父さんたちは笑って許してくれましたが、私は泣き叫ぶ息子を抱えるのと、申し訳なさで汗びっしょりでした。

 

その他にも、

・スッタフルームに入ろうとする

・登ってはいけない階段を登ろうとする

 

親が「やってほしくないこと」ばかり見事にやってのける息子。

その度に私は「すみません!」と謝りながら息子を抱き抱え、その場から逃走します。

 

やりたいことを止められた息子は泣き叫び、泣き終わるまで抱っこする……。

まさに、無限ループでした。

 

体力と精神がガリガリと削られていく私は、「頼むからもう余計なことはしないでくれ」という願いから、いつしか息子を抱っこしている時間の方が長くなっていました。

 

遊び疲れ、泣き疲れ、いつものお昼寝の時間も逃した息子はどんどん機嫌が悪くなり、抱っこの時間はさらに長引きます。

すでに11キロを超えている息子です。

少なくとも合計2時間以上は抱っこしていた私の肩、腕、手首、腰は完全に限界でした。

 

幸せは「渦中」では気づきにくい

やっとの思いで家に帰宅し、「さあ、お昼寝だ!」と一番喜んでいたのは、間違いなく私でしょう。

しかし、期待とは裏腹に、興奮していた娘は眠らず、眠たかったはずの息子も車で中途半端に寝てしまったせいで、家では1時間未満しか寝ませんでした。

 

疲労が限界だった私は、夜寝る前には冒頭のような「もう嫌だ!」という状態になっていた、というわけです。

 

でも、こうして思い出していると、「まあ悪くない1日だったな。」と思えるのです。

幸せというのは、幸せでいるときには気づきにくいものなのかもしれませんね。

 

息子が話しかけに行ったあのお父さんたちは、「なんか、私も息子と遊びたくなってきちゃったな」と笑顔で言ってくれました。 

もしかしたら、私たちが「大変だ!地獄だ!」と思っていたあの姿も、周りの人たちからは「家族っていいな」と見えていたのかもしれません。

 

一晩明けた私自身が、そう思えるのですから。

 

あのお父さんたちの優しい眼差しや言葉は、私(たち親子)を受け入れてくれているように感じられました。

「大丈夫だよ。」「みんな同じだよ。」という連帯感を感じられる子育てコミュニティにいるような気がして、これもまた幸せなことだなと思いました。

 

「今しかない時間」という幸福

たくさん息子を抱っこして、たくさん話しかけた1日でした。 

これが【人間関係の幸福】でなければ、なんだというのでしょう。

 

ふと思ったのですが、4歳の娘とは、もうこんな関わり方はなかなかできません。

お姉さんになった娘は、知らない人のところへ突進したりはしないでしょうし、人前で海老反りになって泣きながら抱っこされることもありません。

 

あのとんでもなく大変だった時間は、1歳の息子との「今しか体験できない時間」だったのですね。

「大変!」「もうやめて!」と思うばかりで、楽しめなかったのは少しもったいなかった気がします。

 

昨日は「もう嫌!」としか思えませんでしたが、振り返ってみると、こうして楽しい記憶に変わりました。 

きっと子供たちが大きくなったときに、「あの頃は大変だったけど、本当に楽しかったね。」「私たちは子供を抱っこしなくても体が痛む歳になっちゃったね笑」なんて、妻と笑いながら話すのでしょう。

 

「幸せは失って初めて気づくもの」と言われることもありますが、それではあまりにもったいない。

 

子育ては本当に大変なことの連続です。

でも、私はやっぱり子供たちと遊ぶのが楽しいですし、こんな幸せをくれる子供達に感謝したいです。

 

昨日は、私が子供を遊びに「連れて行った」のではなく、子供がいないと絶対に行かない(行けない)場所に、「連れて行ってもらった」のかもしれません。

 

大変な毎日を「幸せ」に変える小さな習慣

もし今、あなたが育児や日々の生活で「大変だ」「もう嫌だ」と感じているなら、ぜひ一晩ぐっすり眠ってから(これが一番難しいかもしれませんが)、昨日を少しだけ振り返ってみませんか?

 

・寝る前に、今日の「大変だったけど、ちょっと笑えた瞬間」を一つだけ思い出してみる。

スマホに残っている、何気ない子供の写真や動画を見返してみる。

 

渦中にいるときは「大変」という感情に飲み込まれて見えなくても、一歩引いてみると、そこには確かに「今しかない幸せ」が転がっているはずです。

大変な日々を一緒に乗り越えている皆さんにも、そんな「かけがえのない幸せ」がたくさんありますように。

 

皆さんは最近、子育てで「もう限界!」と思った日はありましたか?

きっとたくさんありますよね。

もしよければ、あなたの「大変だったけど愛おしい毎日」もコメントやX(旧Twitter)で教えてください。

 

もしかすると、あなたにとっての「大変な1日」も、記事の中のお父さんたちのように、どこかの誰かにとっては「微笑ましい」出来事として映るかもしれません。

大変な日を、幸せだった日に変えながら、今日もゆるく乗り切っていきましょー!

 

 

【キャリアの幸福】生涯の趣味、見つけたかも? 好きなことは「やりすぎ」なぐらいがちょうどいい

皆さんは、仕事以外に「これに夢中になっている!」と胸を張って言えるものはありますか?

あるいは、「何か趣味を見つけたいけれど、何が自分に合うかわからない」「始めても長続きしない」と悩んでいませんか?

 

私のブログでは、幸福を5つ(身体的、キャリア、経済的、人間関係、社会的)に分けて考えていますが、今回はその中の一つ、【キャリアの幸福:仕事や趣味など自分が熱中できる物事に関する幸福】について、私の体験をお話しします。

 

日常に追われて趣味を楽しむ時間なんてないと思っている人も少なくないかもしれませんね。

そんな方にこそ、何かのヒントになるかもしれません。

 

まさかの「サツマイモ100本」という挑戦

実は我が家、今年サツマイモの苗を100本植えました。

今思えば、一般家庭で100本は完全に「やりすぎ」だった気がします。

 

お隣さんから畑を貸していただけることになり、つい張り切ってしまいました。

本当に感謝しかありません。

 

1本の苗から3〜5本のサツマイモが採れるとすると、単純計算で300本超え。 

収穫したサツマイモは箱詰めされ、我が家の玄関を占拠しています。

 

玄関を開けるたびに、丸々と肥えたサツマイモの山が目に入るんです。

どうやって食べようかなと毎日ワクワクしてしまいます。

 

「玄関が狭くて靴が履きにくい!」と家族から言われますが、これはなんとも嬉しい悲鳴です笑

 

大変さの先に見えた「熱中」の正体

もちろん、100本もの収穫は簡単なことではありません。

我が家の畑は粘土質で土が重く、子供の力だけではなかなか掘れないのです。

 

収穫は3回に分けて行いました。

1回目は娘のお友達も呼んで賑やかに。

2回目は家族総出で。 

そして、最後の30本ほどは……私一人でした笑

 

実は3回目の昨日も、娘は畑にはいましたが、すでに2回の芋掘りで熱は冷め切っていたようで、応援(という名の土遊び)に徹していました。

初めのうちは「おいも出てきたけど掘る?」なんて聞いていましたが、「こっち掘ってるから大丈夫ー。」という気のない返事が返ってくるばかり。

 

「ええい、もう私がやる!」

そう思って、片手にスコップ、片手にサツマイモのツルを掴んで一人で奮闘しました。

 

そういえば今年は、人に抜かせるために土を掘り返してばかりで、自分自身が「収穫」する楽しみを味わっていなかったかもしれません。

 

重たい粘土質の土にグッとスコップを入れ、ツルを掴んで持ち上げる。

「ボコッ!!」 土の塊と一緒に、立派なサツマイモが一気に抜ける感覚。

 

これが、思った以上に楽しかったのです。 

暗くなる前に終わらせたい一心もあり、夢中で掘り続けました。

 

終わる頃には腰も背中もバキバキでしたが、不思議と嫌な疲れではなく、心地よい疲労感(これは【身体的な幸福】にも通じますね)に包まれていました。

 

芋掘りが育てる、もう一つの「収穫」

土まみれになって収穫したサツマイモ。 

少し湿っていたので、玄関に新聞紙を広げて乾かしていると、その量を見た娘が目を輝かせて言いました。

 

「サツマイモ食べ放題だね!」

 

この笑顔のために頑張ったんだな、と心の底から思えます。

大変だったはずの作業も、「喉元過ぎれば」なんとやら。

 

収穫までの手軽さ(植えたらほぼ放置でした)、収穫の楽しさ、子供の喜び、そして「ご近所さんへのおすそ分け」という楽しみ。

 

そういえば、畑から玄関へサツマイモを運んでいる途中でバッタリ会ったご近所さんに、「サツマイモ要りますか?」と、土&ツル付きのままおすそ分けしました。

以前はご近所さんに声をかけるのも少し緊張していたのに、こんな気軽なコミュニケーションが取れるようになった自分の変化にも驚いています。 

 

これも、サツマイモがくれた【社会的な幸福】なのだと感じます。

 

「やりすぎ」くらいが、人生を豊かにする

熱中できる【キャリアの幸福】とは、必ずしも仕事の成功だけを指すのではありません。 

私にとって、それは土に触れ、作物を育て、時には「やりすぎちゃった!」と笑いながら、その恵みを家族やコミュニティと分かち合うことでした。

 

大変さも含めて、「また来年もやりたいな」と考えてしまう。 

むしろ、「来年はもう少し多くてもいいかな」なんて思っている自分もいます。

 

これは多分、私の生涯の趣味になるのだと思います。 

今は畑を借りている身ですが、いつかは自分の畑を持って、もっともっとたくさんのサツマイモを作りたい。

そんな夢も膨らんでいます。

 

あなたも「夢中になれる何か」を見つけませんか?

「熱中できる趣味がない」と感じているなら、もしかしたら「ちょっとやりすぎかな?」と思うくらいが、新しい世界を見せてくれる合図かもしれません。

私にとっての「サツマイモ100本」がそうであったように。

 

もちろん、それは土いじりでなくても構いません。 

大切なのは、「プロセスに夢中になり」「心地よい疲労感を得て」「誰かの喜ぶ顔が見られる」ことかもしれません。

 

DIYで大きな棚作りに挑戦して、部屋が片付いた達成感と家族の「すごい!」を聞く。

・週末に何種類もパンやシフォンケーキを焼いて、家中に広がる甘い香りと「食べ放題だね!」という子供の笑顔を見る。

 

こんな体験も、私の芋掘り体験と、本質は同じ【キャリアの幸福】です。

いきなり「100本」は大変ですが、まずは「ちょっとだけ時間を忘れて没頭できること」から始めてみませんか?

 

あなたが今、夢中になっていること、あるいは「ちょっとやりすぎかな?」と思いながらも楽しんでいる「趣味」は何ですか?

 

「私もこんな『やりすぎ』体験あります!」(DIYでも、料理でも、もちろん家庭菜園でも!)といったエピソードも大歓迎です。

ぜひコメントやX(旧Twitter)で、あなたの「幸福のタネ」を教えてください。

 

 

 

 

今年の芋掘りの幸せを皆さんもおすそ分け↓

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